機構のひとびと:佐藤由美子さんインタビュー


2016-09-19

「気仙沼の復興の証を残したい」それが夢だと語るのは、介護施設を経営する佐藤由美子さん。気仙沼で育ち、その風土・人が大好きだという生粋の気仙沼人だ。介護という自身の業種に固執することなく、気仙沼の復興、そしてまちづくりに尽力し、夢を、「(一般社団法人)気仙沼市住みよさ創造機構」で実現したいと奮闘している。

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プロフィール:
佐藤 由美子(さとう ゆみこ)さん
(一般社団法人)気仙沼市住みよさ創造機構運営委員
(社会福祉法人)キングス・ガーデン宮城事務長・理事
1956年仙台市生まれ。小学生のときに気仙沼へ。1996年、母親が創業した「(一般社団法人)キングス・ガーデン宮城」に入社し経理全般を担当、現在は事務長・理事。ユネスコなどさまざまな活動に積極的に参加している。(一般社団法人)気仙沼市住みよさ創造機構の運営委員としても活躍する中、同機構の「UIJターンプロジェクト」にも参画中。

行政のふところに入れる希少な組織に期待 “気仙沼スタイル”でまちづくりを

「震災前からまちづくりには関わっていたのですが、震災ですべてがなくなってしまい本当に不安でした。そんな折、昨年(2015年)の4月過ぎに、「(一般社団法人)気仙沼市住みよさ創造機構」(以降機構)の専務理事である高橋正樹さんから、機構立ち上げのお話をいただいたんです」

と1年前を振り返る。

「そのときすぐに、『これだ!』 と思いましたね。気仙沼が前進するためには、この組織こそが必要だと。行政の懐近くに入れて、さまざまな団体からの情報をつなぐことができるのだから、こんな強力な組織はないですよ」。

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機構運営委員会は気仙沼市内で月一回開催されている。市と各団体が、プロジェクトの進捗状況の報告や、新規プロジェクトの企画・提案などをおこなう。また、貴重な意見・アイデア交換の場でもある。

一方で、機構の取り組みである「UIJターンプロジェクト」については、少々疑心暗鬼だったそう。

「正直に話すと、本当に希望するような人材が気仙沼に来てくれるの? と思いました。機構の同プロジェクトに参画している地元会社の中には、実際来られても困るよね、と話している人もいましたし。でもこの春、その地元会社に「UIJターンプロジェクト」を通じて新しい人材が入社したんですね。結果、会社として新たな可能性が見え、今はとても面白く感じているようでした。私も、面接などが始まった昨年秋ぐらいから手応えを感じ、本当に優良な人材と出会えるということを知りました。これまでは市内で求人をするのが普通で、東京や遠方から若い人が就職で来ることはほぼなかったので、気仙沼に新たな風が吹き始めています」

機構が発足して初年度となる2015年度、「UIJターンプロジェクト」を通じて気仙沼の企業に就職した人は、新卒が11名、中途採用が12名と、地元会社の予想を上回る人数となった。そのうち、新卒2名と中途採用の3名が、佐藤さんが経営する「(社会福祉法人)キングス・ガーデン宮城(以下キングス・ガーデン宮城)」に入社。

「新卒の2人は、隣の大船渡市と陸前高田市から来てくれました。介護の勉強をしてきた子たちではなく、野球で東北選手権に出た経歴もあるチャレンジ精神あふれる2人。中途採用の3人は、1人は盛岡市から、2人は仙台市から来てくれました。おかげで職場には新鮮な空気が流れ、先輩スタッフも改めて気を引き締めて取り組んでいます。今後は、東京や遠方からの採用も積極的にできたらと期待しています」

「UIJターンプロジェクト」の取り組みは、人材の新規採用だけではなく、受け入れ側への教育やフォローアップも大事にしている。

「株式会社リクルートキャリア(以下リクルートキャリア)さんがセミナーを開いてくれ、今いるスタッフにも“教えるということはどういうことか”などいろいろなことを指導してくれたんですね。これまでそのような機会がなかったので、現場の意識改革につながりました。ほかにも、採用する側のさまざまな疑問にも対応してもらえるので非常に心強いです」

ただ一つ、遠方からの採用という点で、気仙沼には大きな問題があった。住居問題である。もともとアパートが少なかったうえに震災の影響でさらに減少していたのだ。

「『UIJターンプロジェクト』で市外からの採用を決めた社長さんたちが、親御さんに心配を掛けないようにと新入社員の住居を探していたのですが、なかなか空きがなくて苦労していました。そこで、『だったらうちを使っていただいてもいいですよ』、と声を掛けさせてもらったんです」

佐藤さんが提供するのは、震災後に建設した「面瀬ブランチシェアハウス」。当初は高齢者シェアハウスを想定して建てたが、これを機に、高齢者に限定せず、若い人も年配の方も一緒に暮らせるスタイルへ柔軟に変更を決めた。今では、「キングス・ガーデン宮城」に入社した2人と、機構のプロジェクトに参画している地元会社に採用された2人が暮らす。

「少しでも、気仙沼でチャレンジしたいと思う人のお手伝いができるなら嬉しいですね」と佐藤さんは優しく微笑んだ。

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面瀬ブランチシェアハウス。若い人からご年配まで入居可能な、緑に囲まれたシェアハウス。

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ロビーにはテーブルとイスが置かれ中庭を眺められる。

震災後、気仙沼の荒れた雇用環境を支えた「UIJターンプロジェクト」

2011年3月11日の東日本大震災は、津波だけでなく火災までもが気仙沼を飲み込んだ。佐藤さんも家をなくし、施設も多大な被害を被った。多くの人が厳しい状況に追い込まれ、震災後の数年間、仕事に対するモチベーションを保つにはとても良くない環境が続いたという。さらに人手不足にも悩む中、震災前には一切なかった人材派遣会社からのオファーが、気仙沼の各企業にひっきりなしに入るようになり、市内の雇用環境、そして佐藤さんの職場をも荒らした。

「毎日、人材派遣会社からのファックスが10通も20通も届き、面接をすれば賃金交渉ばかりという異様な状況でした。介護施設を渡り歩く人によって時給がどんどん跳ね上がり、一時は時給2,000円という話も聞いたことがあります」

法律上、どうしても人手が必要な介護の業界。でも、この苦い経験から「仕事ができなくなっても、もう人材派遣会社には頼らない」と決断した。とはいえ人手は必要、と困っていたところ、機構の「UIJターンプロジェクト」に救われたという。

「仙台などで合同面接会に参加する機会を得られ、常識のある、魅力あふれる人たちにたくさん出会えて、心から安心しましたし助かりました」

さらに「UIJターンプロジェクト」のメリットはそれだけにとどまらないという。

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「一番大きかったのは、自分たちが変わったことでした。今までは、狭い地域の中ですべてが完結していたので、今さら企業のイメージをピーアールする必要がなかったんですね。いつの間にか互いに切磋琢磨する機会がなくなっていました。でも今回、リクルートキャリアさんからの質問に答える形で、自社のピーアールを言葉にしたり、形にするという作業に取り組みました。これまで明確に認識できていなかった自分たちの“売り”や、どうしたら気仙沼に来てもらえるか、また、どういう思いで来てもらいたいかなどを深く考える良い機会になりました。問題点も見直すことができ、企業としてもすっきりすることができたんですね。きっと、気仙沼の多くの企業が、私たちと同じように、改めてそういったことを考えることをしてこなかったと思うので、これはぜひおすすめしたいです」

機構で目指す “気仙沼スタイル” のまちづくり

「私ね、日本ってもっとすごい国だと思っていたんです」

震災後ずっと、まちづくりを目の前で見続けてきた佐藤さんが言う。

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「土地の造成やかさ上げも、例えば、人工地盤?みたいなものをバーンッと持ってきてくれて、『さあ、まちをつくってください』って言われるぐらいになっていると思っていました。ところが、まさかの普通に土を盛るところからで…。今でも違うんじゃないかと思っています。もっともっと日本の優れた技術や知恵があって、このまちが生まれ変わろうとしているときに手を貸してくれたり、知恵を貸してくれたりするものが絶対あるはずだと。こういう話を、震災後いつもしていたんですね。そうしたら高橋さんが、『実は、数々の企業から復興やまちづくりに関する先進的な提案がたくさん来ていたのに、対応する人手が足らずそのままにしていた時期があった』と話してくれて。『だから今度こそ、この機構という組織を立ち上げて、それらを改めて発掘したいと思っているんだ』と。私が、機構に対して『これだ!』と思ったのはその話を聞いたときだったのです」

けれども、立ち上げから2年目となる本年度、機構に参画している組織は、大手企業を中心に18団体、機構の各プロジェクトに参加・協力している地元会社は11社と、まだまだ十分な規模とは言えない。

「こんなチャンスはもうないんですよ。小さな地方都市で、大手企業や大学、研究機関からこれだけの人材が集まるということはまずあり得ない。そのことを、気仙沼の多くの人たちや企業に、もっと大事に思ってもらいたいのです。今、機構に参画している地元会社は、そこをわかっているから関わっているんです」

そして何より機構は、ほかの市町村では考えられないような、とても珍しい組織なのである。

「市長が顧問で、そこに、商工会議所、教育委員会、福祉協議会、医師会、信用金庫、大学、研究機関、さらにさまざまな業種の会員企業がすべて横につながるというのは、できそうでなかなかできない。まさに先進的な組織。本当にもったいない、もっと機構の輪を広げていかないと」ともどかしさを表した。

しかし実は、この機構のようなつながりは、昔から気仙沼に受け継がれてきた“スタイル”だったという。例えば、企業の社長が医師会に声を掛ければ医師会はそれにすぐ対応するなど、垣根を取っ払った横のつながりがまちをつくっていた。お互いをリスペクトしあう関係が支えていたのだ。そこに行政も絡んでまちをリードしてきた。だから機構は、そんな昔の良き“気仙沼スタイル”をもう一度復活させ、より発展させていくという使命も併せ持つのかもしれない。

復興の証をつくりたい! 夢を叶えるために…

震災によって、行政が中心となってしまったまちづくり。

「そもそもまちづくりは、どこの市町村でも市民が中心にやってきたはず」

と、行政が音頭をとるまちづくりに疑問を持つ佐藤さんの思いとは裏腹に、土地のかさ上げは日々進み、防潮堤があちらこちらでそびえ立ち始めている。その中で佐藤さんが願うのは、“復興を自分たちでやった”という証を残すことだという。

「気仙沼の人たちが本当に欲しいと思うものをつくりたいです。みんながそれに何かしらの形で携わり、『自分たちでつくったんだ』、『自分たちでやったんだ』、と心から思えるものを何でもいいので残したいのです。どこかにそういうものがないと、私はこのまちを好きでいられなくなってしまうかもしれない」

それは同時に、“震災のけじめ”とお世話になった人たちへの“ありがとうの形”でもあるという。

「『おかげさまで頑張ってここまで来ることができました、こういうものを自分たちの手でつくりました、いつか見に来てください』と胸を張って言える“復興の証”がないと、いつまでも“してもらう側” “被災者のまま”になってしまう」と懸念する。だからこそ、機構も巻き込んで夢の実現に向けて奮闘している。

「機構の慶應義塾大学厳教授にいろいろ相談しながら、少しずつ進めています。一案としてあるのは、みんながくつろげる広場をつくること。そこに、気仙沼に来ている大学などの研究室やセミナーハウスをはじめ、いろいろなものが自然と集まってくるような形にできたら最高ですね」

震災後5年が経ったとはいえ、気仙沼のまちづくりはまだまだ始まったばかり。

「機構が立ち上がったことで、まちづくりは次のステップへと動き出したと期待しています」

そう語る佐藤さんのまちづくりへの思いと機構の底力が、気仙沼の復興の形を変えていくかもしれない。

[インタビュー:2016年04月22日]

 

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